nyansan_______h’s diary

ただのおたく

憧れとオタク

1・なぜブログに書くのか

まずいきなり何を言うんだという感じなのですが、私は人嫌い外嫌い自分嫌いというネガティブな人間です。

 

人嫌いといっても、友達はもちろん好きですし、ネットにも仲良くしてくれるいわゆるネ友の方々がいます。ただインドアすぎるせいなのか、一人の時間のほうが大切だからなのか、長時間他人と一緒なのがあまり得意ではありません。楽しさが勝っていても、どうしても疲れが人よりたまってしまいます。そして自分という存在が好きではありません。なんでこんなことも出来ないんだろうなど、悩んでも仕方がないことまでどうしても責めてしまう節があります。

 

そんな私だからこそ、そんなことしか出来ない私だからこそ、自分をもっと明るく。そしてもっと自分と上手く付き合うことが出来ないのか?と思ったのでここに書きとめて、オタクの輪を広げていけたらなと思い、まずは私のオタク遍歴を私の人生の出来事と共に(ただの記録でごめんなさい🙇🏻‍♀️)書き連ねていきます。

 

2・芸能界という世界に取り憑かれるまで

まず私が芸能界というキラキラした世界に取り憑かれるまでを自分の人生と共に振り返りたいと思います。

 

私が初めて憧れの存在に出会ったのが幼稚園生の頃です。世代的に、みんな嵐やAKB48そしてKARAや少女時代のトリコでした。七夕には、AKBになりたい!と私含めクラスの女子数人は書いているくらいでした。

 

そうです、私の初めての憧れはAKB48です。キラキラした人達が、キラキラした衣装を着て、キラキラした可愛い曲を歌う。幼稚園生の私にはとても刺さりました。

 

そしてAKBにとどまらず、嵐も好きでした。5×10を車でずーっと流してました。まだお金をかけるに至らない、、、その程度でも、「キラキラ」「かわいい」「かっこいい」そんなものに興味関心を抱く年頃でした。

 

また、幼稚園から帰ってきたら再放送のドラマをみるというのが私の中の定番で、無駄に昔のドラマ(金八先生水戸黄門をはじめ相棒などシリーズ物)までみてました。その頃から普通に、ドラマというよりもテレビが好きでした。

 

いやいや、昔からオタクの片鱗あるじゃん笑って思うじゃないですか。私もそう思います。でも、今みたいにお金をかけよう。どこまでも追いかけたい。彼らの夢を一緒に追いかけたい。そこまでのオタクになるとは1ミリも思っていませんでした。そこまでのめり込むとは親も含めだれも思っていなかったと思います。

 

3・じゃあいつからのめり込んだの?

私が芸能界という世界に取り憑かれ、今日までEBiDANにのめり込むきっかけは2つだと思ってます。

 

まず1つ目はスカウトです。端的に言うと、スターダストさんに小2の頃竹下通りで計2回スカウトされました。自慢かよ笑って感じですがええもはや私の過去1の栄光です。私にはこれしかないんです。許してください🙇🏻‍♀️

 

結果的に今ここでツラツラとブログという名の長文を書いているので勿論一般人です。理由は父の芸能界入り反対です。今はこれでよかったと思ってます。ですが、当時はダンスを習っていて、人前で披露をする喜びや楽しさを徐々に知っていっていた時期だったのでまあまあ落ち込みました。しかもスカウトさんに、恵比寿まで通うお金は自費だけど来てくれればレッスン費無料だからダンスでもボイトレでもできると言われ母と私はおぉ〜👏🏻となっていたので、逆に芸能界というキラキラした世界に「自分が入る」ということに興味が湧いてしまいました。

 

きっかけ2つ目は友達の影響です。中学1年生のある日の帰り、徐に友達から私の推し〜とMVをみせられました。シンデレラガールです。私は幼稚園生ぶりぐらいにアイドルという存在に触れました。そのときに一目みてなんなんだ!ってなった子が居ました。そこからが沼でした。ズルズルと沼にのまれ、気付けばJrに辿り着き気付けば中2頃から今の推しにお金をかけてました。

 

4・憧れの芸能界と心の支えになった推し。

中2頃から本格的にオタクとしてちまちまと中学生なりのオタ活をして生きてきました。そして中3になり人生最大の低迷期にきます。なぜ低迷期なのか?そうです進路です。

 

私は幸い周りの環境に恵まれたり、幼い頃に生きていくためには勉強するしかないのだなと気付かされ(私たちの世代はいい子ばかりなのですが、幼稚園生のころの中学生か高校生がタバコを吸いながら駐車場にたまっているのをみて地元の中学には絶対行きたくないと思いました、、、)自分から中学受験をしたいと親に言い、承諾を得て受験をさせてもらいました。ですが中学に入り、周りの高レベルな姿をみていると自分の自己肯定感の低さから、自信やなにもかもを失い 高校にあがれるのかどうかのギリギリのところまでおちました。

 

正直なにがとは言いませんが、何回か未遂の未遂ぐらいまではいきました。そして思春期ならではのことが色々重なりしんどかったのです。そんなときに救ってくれたのは勿論推しでした。

 

ですが、やっぱりどこかで私が誰かの笑顔を照らしたい。勉強から逃げてしまいたい。そんな自己中な思いからアイドルという存在に自ら助けを求める自分がいました。

 

5・どこまで本気だったの???

結構本気でした。高3の夏だけはオーディションに送りまくる日々でした。運良くAteamグループオーディションで最終まで行き、10月頃面接をさせてもらいました。ですが高3ならではで、直ぐに所属できなくてもレッスンだけは受けてほしいと言われ自称進学校に通う私には受験を差し置いてまでこの時期には無理だなと感じたので、辞めさせていただく運びになりました。

そこからぐるぐると本当にやりたいこと・私が何を目指しているのか・結果的に将来どうなっていたいのかを考え最終的には芸能界という憧れだった世界を諦めることにしました。

 

時を少し戻して高3夏頃。私は1人のアイドルに出会ってしまいました。それが今の推しに出会う前に、EBiDANにハマるきっかけとなった子です。たまたまTikTokで流れてきてまたもや一目みてとても惹かれてしまいオタク気質が働き調べてしまい、今日に至ります、、、

 

そしてなにを思ったのか、秋頃に今の推しグルのデビュー曲のMVをみてました。特に何も考えず、好きなハロプロのMVやライブ映像をみている流れで、オススメにでてきたからみてみよ〜ぐらいの気持ちでタップしてました。

 

そこで出会ってしまったのです。またもやまたもや一目みて惹かれる子が、、、それが今の推しです。そうですICExの阿久根温世です。

 

18年生きてきてまさか同い年のあいどるに、まさか本当に理想なあいどるに出会うとは思ってもいませんでした。理想のあいどるはアンジュルムの伊勢鈴蘭だけ、この子しかいない、、、ってなっていたときに(繰り返しになりますが)まさか高3で出会うとは本当に思ってもいませんでした。

 

 

〜終わりに〜

 

リリイベにまだ行けてないのに、今このEBiDANの界隈でたくさんの優しいオタク友達に囲まれて、幸せな日々を過ごしてます。個人的に占い好きなのですが、2024年はオタク友達など輪を広げるとよいと書いてあって嬉しかったので、2024年を迎えることがとても今から楽しみです。

 

これからも私のオタク人生は続きます。2024年は優しいみんなに囲まれてリリイベデビューします。今まで生きてきてよかった。これからも楽しく生きていきたい!と前向きに毎日すすめるように私も笑顔で過ごしていきたいなと思います。

 

みなさんも私も、毎日が楽しく彩られるようなそんな日々をすごせますように。